NPC

めそめそ村の村長である今日、SUPER★DRAGONの「NPC」を聴いたところあまりに切なくなってしまい、大雨の日に電柱から剥がれたチラシのように濡れて引き裂かれてもうどうしようもないですね、みたいな心の状態になってしまいました。そのくらい(伝わりにくいのは重々承知)切なくて素敵な曲でした「NPC」。もう好きすぎて軽々しく聴けないくらい、とんでもなくいい曲。私は曲を聴くときにしばらく歌詞を聞かないので、この曲も例外なく歌詞を理解していないのですが、それでもこれだけ切ないのだから歌詞に真っ直ぐ向き合ったらどうなっちゃうんだろう。あと三ヶ月くらいは曲だけで切ない…とめそめそしたいと思います。

SMAPと街

先月末、SMAPが最後に発売したのミュージッククリップ集を買いました。タイミングが某プロデューサーが、韓国の事務所で云々という報道と図らずもかぶってしまい、私の方が先!と思うなどしました。まぁどうでもいいや。

そう、やっとのことでDisc1(デビュー曲かららいおんハート)を観たんです。ミュージッククリップ集っててっきりPV集、MV集だと思っていたのですが、PVがないものも結構あり、イベントの映像やコンサート映像であるものも多いんですよね。1作目の『Can't Stop!!-Loving-』は西武園でのイベント映像(プールでやってる且つ土砂降りの雨が降っている)、2作目の『正義の味方はアテにならない』はPV、3枚目の『心の鏡』は映画なのか?Wikipediaによるとストーリーがある映像作品を編集したもののようです。PVがそもそもプロモーションのための、テレビで宣伝する時用の映像なのでそう考えると当たり前なのですが、フルで作られているというわけでもないんですよね。あのヒットシングル『SHAKE』も1番で終わりますし。あとその映像も、前作『青いイナズマ』と一緒に撮られている、はず。たぶん。このまま書こうとするとPVの歴史の話になってしまうのであれなんですが、CDの売り上げが落ち込んでくるタイミングでMVという文化は発展していったよねということです。もちろんひとつのコンテンツとして『Fly』のようにショートムービーとして作成する、コンサートに絡めて作成するということはあったにしろ、です。でもやっぱり『Fly』は前衛的だったのかしら?

そう、『Fly』のPVがめっちゃめちゃよかった。PVというか短編映画。SMAPというグループのアウトサイダー的な部分がめっちゃ詰まっているんですよね。タバコをバカスカ吸っていたり暴力シーンがあったり女の子と絡んでいたり(というか3Pを表したかったよね石井監督)、時代が時代だったからできた表現もたくさんあるんですけど、平成ってこういうのかっこよかったよね、と。で、曲があれです。もうそんなの、かっこいいじゃん。あれをシングルで出せるの、時代の覇者だからじゃん。

あと、SMAPのPVってロケが多くないですか?『青いイナズマ』『SHAKE』『ダイナマイト』(都内を走っているトラックの荷台で5人が楽しそうにしているという、こーれーがまたいいんだ!)、『夜空ノムコウ』『朝日を見に行こうよ』(M!LKが今年の元旦に初日の出を見にいった企画は令和の朝日を見に行こうよだったんですね!)、あたりではありますが。でも街にいる印象があって。いくつかSMAPに言及された本を読んでいると、昭和までのアイドル路線は王子様系と不良系に分けられた、とあります。そしてSMAPは平成にデビューしていますが「普通の男の子」という第三の道を大きく発展させた、ということが記されています。その普通というのはいわばストリートで、街との親和性がとても高いということ。ゆえにSMAPは街で撮ったPVが多かったのではないかと思っています。また、『$10』から音楽的にもブラックミュージックをベースにしたファンキーな曲調の曲が多くみられ、そういう面でもストリートとの相性がよかったのではないかと思います。

みたいなことを昨日はずっと考えていました。楽しいな、平成。

つまるところ贅沢な人生

最近M!LKの吉田さんが好きなので、東京を目指すということの尊さを強く感じる反面、生まれも育ちも東京である自分につまらんと思ってしまう。なんという贅沢な人生…!自分の生き方ゆえでは…!というのはわかっている。東京生まれ東京育ち、しかも中高一貫校出身。ハングリー精神がないね、と言われまくってきた。まぁまぁ根に持っている。そうかもしれないけれど、あんたに言われたくない。

むかしのはなし

私はM!LK が好きだ。今年の元旦からという、言ってしまえばめちゃめちゃド新規だ。2005年にKAT-TUNのファンが「ごく出は一生の新規」と言われたように、2025~2026年にM!LKのファンになった人は「滅!出は一生の新規」と言われるのだろう。と、要は好きになって半年なのでM!LKのこともスタダのこともわからないことが多い。けれど、日本のエンターテインメント界における事象として、このごろのM!LKを見ていると 2007年ごろの嵐を思い出す。中高生だったあの頃、私は嵐のファンだった。あの頃の話、というのはWikipedia があるとはいえ、しなくなると忘れ去られてしまう。そういう訳で、私は2000年代後半における嵐のことを積極的に綴っていきたい。

先日、MILKのプライムタイムにおける初の単独冠番組が決まった。まず思い出したのは「嵐にしやがれ」が決まった時期のことだった。日本テレビ系列の嵐の冠番組は、真夜中の嵐に始まり、C・D・Gの嵐!を経て、嵐の宿題くん、嵐にしやがれとなり、2020年の活動休止直前まで放送されていた。約20年という長い歴史のある枠だった。もともとは 2000年から 2001年あたり、ジュリー副社長が嵐のメンバーに「何が欲しい?」と問いかけ「自分たちの番組が欲しい」と答えたところから始まっている。(大手事務所って地上波の番組の枠をポンと与えることができるのだなぁ…と開いた口が塞がらなかったことはまた別の話)正確には、C・D・Gの嵐!と嵐の宿題くん、真夜中の嵐と嵐にしやがれではスタッフが大きく異なるのだけれど、ここがひとつのポイントであると思っている。Cの嵐!が始まったのは 2002年で、J stormが設立されたのと同時期であり、嵐というグループのアイデンティティ確立の時期だった。Jという事務所にいながらおじいの管轄下におらず、映画や外部の舞台など独自の仕事をしながら、松本潤を中心にコンサートを作り上げていった。その中で、冠番組としていつもそこにあったのがC・D・Gの嵐!だった。その後、4年弱続いた風の宿題くんが終了したのが2010年春。前年の2009年というと、グループ結成そしてデビューから 10周年という節目の年であったこともあり、特番どころではなく「嵐チャレンジウィーク」というひたすら嵐の出演している番組が流れるという、改めて考えなくてもとんでもない企画が組まれた。紅白歌合戦に初出場し、VS嵐がゴールデンタイムに進出し、国立競技場3DAYS を含むドームツアーが行われるなど、まさに誰もここまでは想像していなかったであろうお祭り状態であった。嵐の宿題くんが終了したときの個人的な感覚は「完全に嵐が嵐の手から離れた」というものだった。現に2010年になると行政と仕事をするようになっていた。(ニッポンの嵐をはじめとする様々なものがあった)

話を戻しこの嵐の宿題くん、終わるときには「プライムタイムにいってしまうことがさみしい」「オグさんいなくなっちゃうの?」というネットの文字をよく見た。けれど、宿題くんが始まるときに「5人だけじゃないの?」「5人がいい」という文字をどれだけ目にしたか、私は結構覚えている。わからなくはない。実際私も当時は同じように思っていたし。5人でやっていたC・D・Cの嵐!は、いわゆる身近にいそうな青年がサブカルチャーといわれる文化と交わり楽しそうにしていて、ファンはだいぶ楽しませてもらった。けれど、小倉智昭という芸能界の圧倒的重鎮との共演なしにその後の嵐はなかったと思う。オグさんとの共演だけでないことは確かだけれど、彼らの立場が大きく変わっていく過程で、オグさんと出会ったという出来事が結構大きかったことは、自分が社会人になり会社で働いている今だからわかる。そして何より、あの 2006年秋からの3年9か月という期間。Jのアイドルのひとつのグループだった彼らを取り巻く環境が、信じられないくらい変わっていった、国民が彼らについて「いいよね」と言い合い、皆が彼らに好感をもち、5人が日本を背負う存在になっていったあの頃。

こうして昔のことを語るとき、トップになんてならなくてよかった、とネガティブな面ばかりを見てもやもやしていたことを思い出す。好きなアイドルの夢が叶っていることを、心の底から純粋に「おめでとう」「よかったね」と言えなかった後悔も。

物語に溺れない

今年の目標が「物語に溺れない」なのですが、最近体調が悪すぎて溺れっぱなしです。

例えばGP タイムに単発冠番組が決まったとか、事実を事実として受け取るぶんにはいいのです。ですが、そこまでの道のり、2014年にしてから数回のメンバー変動を経てメジャーデビューし、12年目にしてグループで紅白歌合戦に出場して…とか、あのときああいう風に言っていてそしてこういうことを経ていまこうなっていて…とか、グループはもちろんのこと、個人のことも考えるととんでもなくいろんなことがありすぎて、疲弊してしまいます。私が。何も関係ないのに、なぜか私が途方に暮れる…。

「物語に溺れない」って具体的にどういうことかというと「適切に距離をとる」ということなんですね。これが、揺さぶられすぎる、引っ張られる人間からするとめちゃめちゃ難しい。過度に揺さぶられるから距離をとろうと思っているはずなのに、そもそも距離をとるのが難しい。人生むずすぎ。趣味なのだから、取捨選択して見たいものだけ見ればいい。そもそも、年を重ね見たいものしか見られなくなってきてはいる。ですが、心が惹かれたものに対してとなると話が変わってしまい、いい感じに距離をとることも、見たいものだけ見るということも、さらに一気に下手になる。しかも、見たいからといって見ても、心が揺さぶられすぎてしまって情緒が終わる。一体どうすれば?

あと、今一番ひっかかっているのが、グループや個人への「いいよね!」が、度を過ぎて本人たちを神格化してしまわないかということです。もちろん彼らは一生命だとも素直だとも思うし、誠実に仕事をしてきたからこそ今があるのだとも思う。もちろん、ここから立場が人を育てていくという部分もある。ただ、人気が一気に加速するときというのはどうしても祭り上げられるもので。そして、グループはまた違うだろうとはいえ、昔浜崎あゆみが、登りきったときに下を見たらあったのは狭くて脆い自分の足元だった、みたいなことを言っていた覚えがあるんですよね。2009年ごろ、嵐がひっきりなしにテレビに出ていた時にも頻繁にこの言葉を思い出していたので、ソースもいつ頃の言葉なのかも全然定かではないのですが、幼な心に切なさや悲しさを覚え、ずっと心に残り続けています。時代が違うよそんなことないよ、と言われればそうなのかもしれないし、むしろそうであってほしい。好きなアイドルにはいつだって、私たちの前に顔を出さない日も、顔色よく生きていてほしいのです。

うつうつ

恵まれている・守られているコンプレックス、ってあると思う。恵まれているのにその環境を生かしきれてないこととか、今に満足しているけれど心地よいところにずっといていいのかとか、20代中盤までずっとあった。ハングリー精神がない、とよく言われた。中高一貫私立女子校に通っていて守られ慣れた人間が、ハングリー精神を身につけろって、難しい話だと思う。それでもなんで身につけられないんだろう、って思っていた。それなので私は、Hey!Say!JUMPの苦労してきてないよねというまわりからの視線に、だいぶ同情していたというか、もはやシンパシーを感じていた。苦労してないわけがないんだけどな。そりゃデビューは早かったよ。でも瓦礫の上に咲いた花だったんだよ。そんな花の気持ちなんてさ、みんなわからなくない?なのに苦労してないよねなんて、なんで言うの?という気持ちだった。最近よく考える。エンタメ界の構造について。Jの圧力や公正取引委員会の注意処分について。そんなJにいたのだからタレントはすぐに表に出られて苦労をしていない…のはそうなのだろうか?Jという組織が他のボーイズグループや事務所にしていたことは加害なのだけれど、10代の小中高生だったタレントも同罪なのだろうか?正直わたしにはまだよくわからない。と思ってしまうことも加害にあたるのだろう。そしていまのJのおたくが、他のボーイズグループへとやかくしつこく意味のわからないくってかかり方をしているのもまた加害で、それにもまた落ち込む。こんなにも他者を傷つけないと立っていられないのか?と。

 

Jってあんまり家族の話をしないよね、と思っていたのだけど、改めていろいろ読んでいたらそんなことはなく、単に自分が人の親世代になり家族の話題に目が向くようになったというのが正しいようだった。わたしは有岡大貴とタメ年だ。この世の中に信頼がなさすぎた故に結婚も出産もずっと絶対にしないと思っていた。ただこれからしたいタイミングが浮上した際に、いまさら?と思ってしまう。これから出産しても子供が大人になった時に自分生きてるのか?という。なんかもう今世では一人で生きていくほうがいいのかなとか、いろいろ考えてしまう。23歳くらいで結婚出産する人生を歩んでみたかった。でも今世は、20代の頃必死で仕事をしたベースがあるおかげで、いまめちゃめちゃ楽しく仕事をしている。こんなふうに思える仕事を続けられていることには感謝し尽くせないので、現世はもう大成功だ。そう思えることがすべてな気もする。