いとしさと せつなさと こころ苦しさと

久しぶりにMyojoを買いました。昨日、先月と今月の号を集英社のネット通販で注文したら今日届いた。集英社、仕事が早すぎる。

さて、早速読んだ先月のMyojoで大昇がこんなことを話していました。

もともと持ち合わせている繊細さもあるのでしょうけど、ジャニーさんとのお別れがあまりに大きかったのだと思います。この後にこんな風にも話しています。

寝る前にリビングの電気を消すときに、さびしそうな目で見られると消しづらくて。クレアをなでて、ちょっとじゃれる、っていうのが寝る前の習慣。 Myojo 2020年9月号

愛情のある相手と触れあうことを大事に、そして触れあうという形で慈しむ人なのかなと思います。なんだかそれすらも切なく感じる。

 

例えば大昇が、ジャニーさんではない誰か大切な人を亡くしたら、ジャニーさんはこういう演出でこういったステージを作ると思います。過去にも勝利さんでも、形は違えど亡くなった大切な人への想いを吐露させたことがあったからです。(2回ほどしか観ていないため曖昧ですが)ジャニーさんは、形はいろいろでしたが、少年が限界の向こう側へ行く瞬間を意図的に作ってきました。ただ、大昇は自分でこのステージを作り上げているんですよね。ジャニーさんの意思を受け継ぐという意味ではこの上ないですし、エンターテインメントを目指す少年には必要な階段なのかもしれません。その階段を自分で作ること、そして登っていくことは並大抵なことではないと思います。また大昇もこうやってパフォーマンスをし、ジャニーさんを悼むことで救われている部分もあるのかもしれません。ジャニーさんは天からそんな大昇の姿を見て、きっと嬉しく思っているのではないでしょうか。何か壁にぶち当たったり傷付いたり、そういうことがあればあるほどステージで輝くのだと思います。傷跡は光に照らされて煌めくのだと。でも自分で自分を過剰に苦しくしていないかなと思うのです。私は主に心配しかできないただのファンです。大昇には心身ともに健やかに過ごしてほしい。なので、そういったことで彼が疲弊しきるとかバランスを崩すとか、そういうことがないといいなと思っている。健やかにあることができますように。もうただそれだけです。