恐れないで

しょうくらのしょうは大昇のしょう!

しょうますとごーおんのしょうも大昇のしょう!

素敵な名前ですね、大昇。

 

たいしょうねんくらぶやたいしょうますとごーおんとは全く関係ない話。この前の週末は情熱JUMPの有名な歌詞を噛み締めていました。

完璧じゃないから 僕らは次に行ける

作詞:ma-saya、作曲: BOUNCEBACK

オタクが次に行けるのも同じことだと思う。

完璧だともう思い残すことがなさすぎて、あとは死ぬだけむしろもう死んでいい…ってなりません?私はめっちゃなるんですよね。この先この出来事を越える瞬間が訪れるのか?ないくらい完璧で最高だったよね?もうこの世に未練なし…みたいな。

私はJUMPが好きなんですけど、彼らのコンサートで「完璧だ…」って思ったことってないんです。前回のコンサートPARADEは手放しによかったと言える、他のグループのジャニオタにも全力ですすめたくなるくらいよくできていて彼ららしくて面白くて楽しものでした。でも前回のPARADEも含めて、いつもズコー!とずっこけたくなる、いやいやそれかい!とツッコミたくなるポイントがある。そう、PARADEも完璧ではなかった!ズコー!ってまぁちょっとした心の弛緩(こちら心の持ちようね。コンサートがダレるということではないです)の瞬間だと思っているんですが、これはだからダメなんだ!ということではなく、ズコー!ポイントがあることはとてもありがたいのです。その緩みが彼ららしくいとおしく感じる部分でもあります。私はオタクの中でも多分上位に食い込めるくらいズコー!を求めているので、ズコー!ポイントは嬉しいし来たぞ来たぞ!と興奮します。でも、出来を重視するなら別になくてもいいんです。むしろない方がいい。でもそのズコー!があるから、私はコンサートが終わって家に着いてから、今日は楽しかったなと噛み締めつつ、次を楽しみに生きていけるんだろうなぁって。

完璧で未練がなくなってしまったとしても人生は続きます。なので言ってしまえば、完璧じゃないそのことは逆に人生における完璧なのかもしれない。